スタッフ紹介

院長 善村 嘉拡(よしむら よしひろ)

院長 善村 嘉拡(よしむら よしひろ)

資格
柔道整復師・鍼灸師
出身地
東大阪市(瓢箪山)
趣味①
YouTube鑑賞(クレイジージャーニー好き・ゴンザレスファン)
趣味②
バイク(爽快に走るのが好き)
趣味③
そば巡り(福井限定・おろしそばにハマる)
特技①
人の集まりの中で顔の似た人を探すこと
特技②
カラオケで人の歌にハモれる
特技③
ピアノ(中学3年間、合唱コンクールの伴奏をした)
好きな言葉
人間万事塞翁が馬
過去に経験した体重
最低が56kg(ダイエットで)最高が78kg(無理に食べて太らせた)現在72kg

施術家として開業するまでのストーリー(小学生時代)

施術家として開業するまでのストーリー(小学生時代)

冬でも半袖半ズボン。小学6年間を薄着で過ごしました。今思えば考えられない格好をしていたんだなあって思いますね。とても健康的な子供でした。

地域のソフトボールで6年生の時はピッチャー・4番・キャプテンを任されていました。当時から責任感は強かったんでしょうね、練習のない日でも一人で練習をしたり、足腰を鍛えるために近くの神社まで走ったり努力をすることが好きな少年でした。

施術の道を目指す原点になった大学時代

施術の道を目指す原点になった大学時代

現在の整体を目指す原点となることが起こりました。

大阪工業大学へ進学し大学生活を送っていました。高校時代は大学に入ることが一番の目標だったので、とにかく受験勉強に必死でした。

大学に入ると高校とは違って授業はあるものの「自由な時間」ということが与えられたと思います。それまでの人生で大学進学が目標だったので合格すると、次に何をしたらいいのかわからないようになっていたのです。

そんな時、高校の同級生がラグビー部に入って

 

「一緒にラグビーしないか!初心者でもできるから入れへんか?」

 

と、誘われました。

小学生の頃「スクールウォーズ」に憧れていたので、二つ返事で入部に至ったのです。

 

ラグビー初心者で入部当初、練習についていくのはつらかったです。中学生時代には準硬式野球をしていましたが高校時代には何もしていなかったので、走ることやコンタクトすることに慣れるまでとても大変でした。それでも、上手くなりたいと努力した結果、時々試合にも出られるようになりました。

大学2年の秋のリーグ戦、京都教育大学の試合に初の先発で起用してもらいました。ポジションは右ウイング、先発だったので試合前はドキドキしておぼつかなった記憶があります。キックオフの笛がなると緊張はなくなり、とにかく必死に頑張りました。

後半15分過ぎ、スクラムからのボールがスタンドオフ⇒左センター⇒右センター⇒右ウイングの私にボールが回ってきました。パスを受けた時、目の前には対面のウイングが1㍍以内に詰めてきて、ボールを受けた瞬間、足元に低いタックルをしてきたのです。

私はとっさにジャンプをしてタックルを交わそうとしました。自分の中では対面のウイングを越えてやろうとの思いでしたが、交わしきれず倒されて地面に叩きつけられたのです。その瞬間、左手をついてしまいました。

 

 

(ボキッーーー!!!)

 

 

とまるで木がへし折れるような音を耳にしました。地面に倒されたまたま自分の左手を見ると

 

 

「曲がってる!骨折や…!!」

 

 

と自分でも判断できるぐらいに曲がっていたのです。

私の大きな怪我の始まりでした。試合は一時中断し、負傷退場となり、救急病院へ搬送され、ギプスを巻いて初の公式戦はノーサイド(終了)となったのです。

その後
大学3年に膝関節の側副靱帯・前十字靱帯損傷
大学4年で肩関節の脱臼3回・肋骨骨折2回

 

沢山の怪我の経験をしました。そのたびに両親がしていて整骨院でリハビリを受け、その経験が私の心を動かし、整体の道へと進み始めたのです。

自信がつき始めた修行時代のこと

大学卒業前から貝塚市の整骨院へ住み込みで仕事をさせてもらうことになりました。専門学校へも行かせてもらうことができたので、午前中は整骨院での仕事、昼は学校、夜はまた整骨院で仕事、仕事が終わってからは夜遅くまで院内で勉強会がありました。

先輩と共同生活だったので、家に帰ってご飯を作って、また学校の勉強をするという生活を送っていたのです。日に日に先輩から教わるマッサージが上手になっていたので、お客様へも施術に入れるようなりました。

年配の女性受けが良かったので、指名をもらったりすることも多く、この頃から自分で整骨院をしても上手くいくのではないかと【根拠のない自信】が芽生えてきていたのです。

開業後から現在に至るまで

開業後から現在に至るまで

【根拠のない自信】を元に開業することになりました。ここで大きな壁にぶち当たったのです。

紹介で60代の女性Tさんが来院されました。症状は「坐骨神経痛」右のお尻からふくらはぎにかけての痛みとしびれです。数年前からひどく痛くなりしびれもきたしているとのこと。

女性「先生、治りますか?」
私「はい、大丈夫ですよ」

 

私は気持ちのいいマッサージをすることが得意でしたが、坐骨神経痛の整体はできなかったんです。それなのに、苦し紛れに「大丈夫ですよ」って言ってしまったんです。

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

施術を1回、2回、3回としても坐骨神経痛の症状は変化しませんでした。私の言った通りに来院してもらい、10回目、15回目と施術を繰り返しました。しかし、症状は一向に変わることがありません。

私は全力でマッサージをしました。今まで「気持ちいい、よくこたえる」って言われてきたマッサージを一生懸命しました。しかし、症状は全く変わらないのでした。

20回目の時、Tさんがこのように言ってくれました。

 

「先生、ありがとう、私の症状は難しいんやね、先生が一生懸命やってくれたのに治らんみたいやし、頑固なんやね、ありがとう」

 

何も答えることができませんでした。

確かに一生懸命はしました。しかし、坐骨神経痛を良くする施術ができなかったのです。私は自分の足りない技術に悔しくて悔しくてたまりませんでした。Tさんを救うことができなかったのです。

そして、マッサージが悪いのではなく、気持ちいいだけの施術で本当に痛みやしびれを解消することが出来ていなかったことに悔しさがこみ上げてきたのでした。

それからTさんは来院されることはありませんでした。
来院される方は本当に症状を良くしたいと思い来られます。その気持ちに全力で臨み全身全霊をかけて施術しなければならないと誓ったのです。気持ちのいいマッサージをするだけでは本当に困っている人を助けられない。

そう思った私は休みの日にセミナーへ行くようにしたんです。素晴らしい先生が教えてくれる技術を必死に学びました。大阪だけでなく東京、横浜、名古屋、福岡など坐骨神経痛を改善できなかった悔しさをバネに一生懸命学びに行きました。

 

 

現在の私の仕事

現在の私の仕事

「なぜ私が整体の仕事しているのか」

それは、一人の患者さん(田中さん)の言葉にあります。

田中さんに会うまで、私の仕事は体を治すことだと思っていました。

 

田中さんは首の痛みで手術しないと治らないんだと悩んでいました。

「整形外科で手術しか治る方法はないって言われて・・・」

 

そんなときに、チラシをみて来院されました。

 

最初に整形外科の受診で首の痛みは手術しか解決方法がなく、手術するのも怖いってことを伺いました。

 

なぜなら、首の痛みだけを治すのではなくどんな不安があるかを知っておきたいからです。

 

すると手術をしなくても調子のいい首の状態になって、手術しか方法はないという不安から逃れられました。

 

将来、確実に治るかどうかわからない首の痛みが治って良かったなぁって思いました。

 

「手術をしないで治って本当にうれしいわ」

田中さんはホッとした表情でいいます。

 

田中さんのホッとした気持ちから家族へも笑顔が増えることでしょう。

 

このことがあったとき思いました。私の仕事は単に体を治すことだけでなく、笑顔をたくさん集めることが仕事なんだと。

 

これからも「なんで仕事をしているの?」って聞かれたときに「笑顔になれました」と言える人をもっと増やしていきたいと思います。

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